2025/09/26
なぜ精神科で診断が分かりにくいのか②
こんにちは。精神科の診断の分かりづらさ、伝えにくさ/伝わりづらさについての第2回になります。
今回も長くなってしまいますが、お付き合いください。
・特定不能というもの
具体的な診断をつけるには診断基準を満たさなければいけませんが大項目の障害圏はわかっても中項目・小項目の診断基準に合わずに下位診断項目に当てはまらない場合があります。
気分障害と分かっていても、うつ病の診断を下すには診断基準にぎりぎり当てはまらない場合が非常に多いのです。
診断基準に当てはまらないけど大項目は分かっている場合のために精神科では8項目と9項目の診断基準があります。
特に9項目が重要です。
例えば気分障害とは分かっていても診断基準にのっている既知の個別な疾患(障害)に当てはまらない場合には「特定不能の気分障害」と診断されます。
それがその人の病名(障害名)になります。
ICDでは英語でunspecified、DSMではnot otherwise specified(NOS)という言葉で表されます。
これが非常に多かったのです。
現在の診断基準の元ができたのは1980年のDSMⅢからですが、厳密に診断しようとすると特定不能の気分障害(当時は感情障害)と診断されてしまうものが多かったのです。
その診断が付与される患者さんが多すぎて「これは多すぎだろ」と問題になりました。
例えばこれはF39という診断になるので一桁目の9を取って先ほどは9項目と呼んだものです。
DSMⅢというものがアメリカにできる前はアメリカは精神分析(という心理療法の一つ)ばっかりやっている国のような感じのイメージでした。
精神病理学においてはドイツが圧倒的に進んでいて20世紀初頭にはクレペリンや哲学でもお馴染みのヤスパースが緻密な精神科の症候学や診断基準を作っていますし、1950年頃にはシュナイダーが現在のDSMの原型のようなものを作っていてDSMの導入はアメリカの精神医学のドイツ化とも言えます。
またエビデンスベースドメディスンの時代になってきたため客観的で科学的、統計学的根拠のある研究に基づいた医療をする必要が出てきたためという事情もあります。
そのために従来の精神医学の刷新するような診断基準をアメリカが作ってそれが世界に広まったのですが、診断を厳密に行うために「正確には診断基準に当てはまらない」大項目はわかっても細かい診断名はつかないあいまいな「NOS」なる診断が量産されてしまいました。
・「その他の」というもの
他に8項目というのもありました。
8項目は例えばF38で「他の気分障害」というものになります。
ICDではother、DSMではother specified、みたいな言葉を使います。
DSMⅢ以降はそれ以前の診断で採用されなかったものがたくさんありました。
世界中では今も昔も、そしてこれからも新しい疾患概念が提案されてきたし、されていくでしょう。
京大-大阪医大系列を中心に西日本では統合失調症のなかには非定型精神病というのもあって統合失調症は2つに分けるべきだという考え方があってICDやDSMのヴァージョンアップや改定の際にはWHOやアメリカの精神医学会に提案していたりします。
あるいは特定の文化と結びついた病態もあって日本の「狐憑き」、「狗神付き」とか「コロ」とかは流石に今ではスラングとして使用されることはあるかもしれませんが、全くと言ってよいほど聞きません。
例えば現在の社交不安障害という疾患は日本独特の障害とされて国際診断基準でもアメリカの診断基準でも取り上げられていませんでした。
日本の山下先生という北海道大学の先生が「対人恐怖」というものがあると世界的にアピールして世界でも研究してみると、実際にそういうものがあるというのが認定されて現在は診断基準に採用されています。
精神科の診断基準は身体科の診断基準みたいな数値化されたり画像化されたりしてはっきり客観的に病気を示せるものは多くはありません。
ですからどういう考え方で診断体形を作るかということですがまだまだ脳の事も心の事も分からないことが多いため現在の診断基準は便宜的であるみたいな謙虚な感覚があります。
他のいろんな精神科の疾患概念が世界中にありますし、うまく組み合わせれば、それなりに診断に有用です。
1950年のシュナイダーの「臨床精神病理学」は現在のDSMの元にもなり今見ても完成度が高いですが自閉スペクトラム症やADHDで知られる発達障害の観点はほぼきれいに抜けています。
こういったものは研究の結果、診断基準に採用され、さらに版や改定を重ねるごとに洗練されています。
・精神科の診断は患者さんにはっきり言わない方がいい場合もある
ある種の診断名がつくことを患者さん、ご家族、周囲の人が好まない場合があります。
(好まない、と記載をしましたが、好まない場合があることを理解していて敢えて伝える場合も当然あります。ただ、好まない場合があることを理解しているが故に伝えづらい、という医療者側の思いや思考の癖、パーソナリティもありますので患者さん側のみの事柄では一切ありません)
例えば境界性パーソナリティ障害(情緒不安定性パーソナリティ障害)とか自己愛性パーソナリティ障害と診断されるのを患者さんは嫌う場合があります。
他に最近でこそ偏見や差別は亡くなったり減って来たりしている傾向がありますが、現在でも地方の方や年配の方は精神科疾患に偏見や先入観や差別、スティグマやバイアスを持っている、持つ場合があります。
これは都市部の年配の方でも減り、その時代の中心を担う世代では、かなり減ってきているので非常にいい傾向ですが、なかなか歴史も世代も年代も時代も地層のように積み重なっているものなのでそういう意識をもっていても無理もない場合もあります。
昔みたいに患者さんに知らさず食物などにまぜて薬を飲ませるみたいなのは激減していると思われ、これは昔のがんの告知をしない時代もあったというとか振り返ってみるとなかなか医療や保健衛生の進歩も感慨深いものです。
・そもそも悪くなる前に早く治療開始してしまう
医療保険福祉など全般的に進歩して早期発見早期治療が精神科・心療内科でも盛んです。
患者さんの多くが周囲の人から、心配を伝えられた時に医療機関にかかってみようと思うことが多くなり、抵抗が薄まっている印象もあります。
ともすれば、発症する前・状態が悪くなる前に医療機関にかかる場合が多くなって診断を基準を満たす前に治療が始められる場合があります。
例えば統合失調症では思春期のat risk mental status(ARMS)という思春期のこじれや神経発達の変調を経て20台前半に発症することが多いということが知られています。
統合失調症の診断基準を満たす期間以前、病前期や前駆期に介入することで統合失調症の発症を下げたという研究が北欧で出たのをはじめ世界中で研究されています。
上記のARMSも統合失調症まではいかずとも、「リスク状態」であって、発症を未然に防ぐ目的での介入(治療的・予防的)行為は必要であったりします。
ARMSは診断名ではありませんので、公的な書類に記載されるようなものではありません(ただし、他に表現のしようがない場合、「統合失調症疑い」か、そのまま「ARMS」と表現される場合もあるかもしれません)。
診断名を聞いて、ホっとする方もいれば、なんでその診断なんだ!と思われる方(実際に診察室で声を張り上げられる方)もおられます。
これは色々な思いが交錯しているのが、その反応から見て取れます。
確かに社会の中で、その診断がつくことによる有利/不利、不安/安心などいろいろなフェーズで変化が発生します。
ただ、先日も書きましたが日本の保険診療上・臨床上、病名を付けることによってはじめて使える薬もあります。
病名で患者さんの全てがわかるかというとそういうことではなく一側面を捉えるだけのラベルのようなものです(ラベルは不要になれば剥がしても構いません。診断というのも治療目標が軽快したり、焼失すれば剥がしてしまって構わないのです)。
ここまで長々と書きましたが、目の前の患者さんと会っているとき、特に症状や病状の話を伺っているときには、このようなことを考えながら話を伺っています。