月別: 2009年9月

2009/09/29

差延と同一性

デリダは差延という概念を作りました。
差延は構造主義的に形成される認識のことをいいます。

現代思想では、近代思想は差延に同一性を見てしまう誤解から成り立っていると考えています。

現代思想の原理は差延と同一性とは違うというものです。

同一性は同じであること、一つであることです。
差延は差と差異の構造が時間的に連続性に保たれるため時間同一性が継続するというものです。

2009/09/27

ラカンのシェーマL

ラカンはシェーマLというモデルを考えました。
これは人間の認識についての新しいモデルであり、近代的な人間の認識についての考え方よりも多くのことを適切に説明することができます。
ということはよりよいものが出てきた以上、別に近代的な認識論にもはやこだわる必要はないということです。
ラカンの認識論は近代的な認識への考え方、経験的な認識に対する捉え方を持つ人にはやや理解しにくい面もあります。
人間の認識は知覚や経験や記憶や情動や状況などの関係性の中から生み出されるものであるということ、認識するのにイデア的なものは特に必要はないことが結論として導き出されます。
脳という言葉を使えば、人間の認識は外界からの知覚と脳の中にから発生したり蓄えられている情報を使ってそれらに強く修飾を受けつつ生成されるものであるというようなイメージです。
認識の対象が椅子とか石とかそういうものである場合にはあまり議論は深まらないのかもしれませんが、認識の対象が自己とか善悪とか理念とかいった抽象概念だった場合、それは重要な影響を及ぼします。
人間は自分が認識したものに対し確実感を感じ、確信を抱いたり、信念を抱いたり、真理や絶対ということを作り上げたり、存在の確からしさ、実在を主張したりします。
それらはラカンの見方の帰結として、脳が作り上げた勘違いであるという結論になるからです。
人間は自分が確からしさを感じたものを確実なものや真理を作り上げてしまうというのはニーチェの(あるいはドゥルーズのニーチェ理解による)基本的考え方です。

ラカンはエスという力についても語りました。
構造と力というのは現代思想では重要な問題です。

2009/09/27

平等と現代思想

近代思想は差別と親和的です。
世界の価値付けを行うからです。
世界に線を引きその線により世界を差別化します。
線のこちら側はよりよいことであり、あちら側はより価値が低いものであるという風な形でです。
さらに近代思想ではそのように形成した図式から自覚的に離れることができず、それに支配されます。
自覚的にはできませんが、何かの条件が変わって線が引き直された場合にはまたその線で世界を分け、良い悪い、あるいは善悪などの価値付けを行い新たな差別を開始します。

現代思想でも線を引きますが、そのことに自覚的であり、線自体の恣意性を知っています。
また線をある程度自分の思うように引いたり消したりすることができます。
線自体を管理する能力があります。
また線が差別を生みうることに自覚的であり、価値付けもコントロールできます。
そのためのいろいろな技術を現代思想は持ちました。
線を引いても上下付けをしない場合これを差異といいます。
線自体を自由に引いたり消したりできる能力を現代思想は追求しました。
自覚的に線を引いたり消したり動かしたりするために、現代思想はなぜ多くの人が線に支配されてしまうのかについて考えました。

2009/09/27

現代思想と高次脳機能科学

現代思想と高次脳機能科学は非常に似ています。
それぞれが他方に対して対応概念があるようにみえます。

現代主義は客観世界での事物の存在や実在には興味を持ちません。
基本的なスタンスとして人間の認識についての思考に重点が置かれます。
認知科学や唯脳論は人間の脳の仕組みについて考えます。
人間の認識や精神、脳の仕組みは絡めて考えるといろいろと興味深いテーマを提供してくれます。

例えばベルクソンやラカンは人間が時間同一性を作り出すのは記憶が大切な働きをしているという風に考えました。
認識に大切なのはベルクソンは時間と記憶、ラカンは関係性、象徴的関係と創造的関係であり、さらにエスがあります。
近代的な実在論的思考では、実在物に特異的なニューロンがあるようなモデルがしっくりきますが、現代的な構造主義的認識生成機構的な見方では、ネットワークとコネクティビティーが認識や実在物を生成するようなモデルがいいでしょう。
どちらも知覚と記憶は重要ですが、これも脳科学を用いてモデルに組み込めないかなという気分になります。
エスやエラン・ヴィタールなどは脳の大脳辺縁系やより深部に局在をおきたい気分になります。

以上はやや余談的な話です。
本質的な違いや独立性、文脈の違いなどを理解した上で相関付けたり、統合したりするのは面白い思考実験になりそうです。
現代主義はそれ自体が完結した思考体系であり、ソフトとハードはあくまで違うものですが、時代のいろいろなものが、情報科学や技術であったり、社会構造であったり、脳科学であったりですが、現代主義の方向性と協調して進んでいるように見えます。

2009/09/27

統合失調症と現代思想

統合失調症と現代思想はとても関係が深い間柄にあります。
ラカン、ドゥルーズ=ガタリなどの多くの現代思想家が統合失調症に対して思考の焦点を当てています。
現代思想において統合失調症がなぜ重要なのかというと、一番大きな理由は彼らが統合失調症という病気を認識生成機能の障害、同一性形成の障害と考えたからです。

現代思想では認識や同一性形成というのは大変大きなテーマです。
認識や同一性機構が事物の実在感や確実感を作り出します。
物理的な物の実在や存在の確実性については普通生活している範囲での日常世界ではあまり問題にする必要はないでしょう。
しかし人間が確実感を感じる対象というのはもっと抽象的なものもあります。
自己とか他者とか人間とか歴史とか善悪とか価値観とか正義とかそういったものを人間は形成します。
例えば自己同一性や他者恒常性と呼ばれるものです。
現代思想では同一性や恒常性は人間が作り出すものです。
現代の高次脳機能研究的な言い方で言うと、脳が、皮質が作り出すものです、というと面白い言い方になると思います。

統合失調症では認知機能障害が症状としてあります。
精神病というのは昔は狂気などとも呼ばれ、病者の言っていることが非病者には理解できない、非病者の言っていることが病者には分からないなどの特徴があると思われていました。
現代思想ではこの後者の病者の理解力の不全、その原因ともなっているのが認識と同一性の形成障害であり、それが疾患の中核症状であると考えました。
現代思想では統合失調症では時に認識や同一化がうまくできない、あるいは認識や同一化が歪むという風に考えます。

現代思想、特にポスト構造主義の思想では、認識や同一性の生成について自覚的であること、さらには生成された認識や同一性を解体すること、これを脱構築とか脱コード化とかその他いろんな言い方をしますが、認識や同一性に支配されないこと、それらの生成と解体をコントロールすることが重要なテーマです。

高次脳機能研究でもラカン的な見方によっても、ある意味我々の認識というのは錯覚のようなものです。
我々は何かを認識したと思うとき、何かを認識したと思う誤解の上に生きています。
瞬間瞬間大脳の形成した認識という勘違いの上で生きています。
統合失調症の患者は別の面から見ると大脳皮質にある点では騙されていない人々であると考えられます。
実際統合失調症の患者では公理主義的な思考強迫があったり原理的な問題を考えずにはいられないないことが発症に繋がったり病期の間に患者の重要な問題になることが多く見られます。

現代思想では統合失調症のこのような面を見て、そこから学ぶべき点があると考えました。
ラカンでは、シゾイドやパラノイドという人間の精神の分析方法が語られます。
ドゥルーズ=ガタリではさらに社会分析や実践が語られますが、それは認識や同一性に支配されず、それらをコントロールしある程度自由に認識や同一性の生成や解体を繰り返す生き方です。l