月: 2022年4月

2022/04/27

うつ病の時代

うつ病を巡るいろいろ

ここ数十年のうつ病の問題点はそれが内因性だか心因性だかはっきりしないことでした。
最近はそういった議論も沈静化し現状を受け入れる方向にシフトしているようです。

ドイツ医学の伝統を受け継ぐ日本の精神医学ではそもそもうつ病は明らかな精神病でした。
うつ病を気分障害や感情障害という大分類が与えられたのは比較的最近のことです。
うつ病でなくても人間やうつや抑うつの症状や状態を呈します。

心因的、心理的なその様な気分、感情の障害を昔は抑うつ神経症、あるいは神経症性抑うつと言っていました。
これが1980年ごろから区別されなくなります。
これによって内因性精神病であったうつ病が心因性精神病である神経症と混同されるようになります。

更には了解可能で説明可能な抑うつ症状や抑うつ状態までもうつ病に組み入れられる場合が出てきました。
こうなるとうつ病は精神病でない、言い換えれば精神障害でなく普通の人の普通の心理反応と区別できなくなる場合が出てきます。

うつ病概念の拡大です。
これはいい面もあれば悪い面もあります。

そもそも今の時代は予防医学が大切ですが精神障害も例外ではありません。
色々な精神障害で後遺障害が次々と見つかっています。
また精神障害はそれ自体が重度のストレスを伴うため身体疾患の発症や増悪、人生や生活の質の低下をもたらします。
また個人や家族の障害年収やキャリア、社会や組織の生産性ともに悪影響を及ぼすことが分かっています。

ですからまず精神障害を発症させない一次予防、早期発見早期治療を行う二次予防、再燃再発を防ぐ三次予防が大切です。
その様な場合にうつ病概念が広がった方が全ての予防がしやすくなります。

うつ病であろうがなかろうが抑うつ症状は苦しいものですので、予防や治療やアフターケアを充実させることで精神科の公衆衛生を高めることになります。

実際過去には現在からみればよほどの精神障害があり本人が苦しんでいる場合でも精神科医にこれは精神障害ではないと言って治療を拒否されることが多々ありました。
うつ病の診断基準を満たそうと満たすまいと苦しいものは苦しいにも関わらずです。

ここには衛生、公衆衛生、予防、患者さんの心理社会側面や家族、経済、仕事など人生全体をみようとする全人的な観点がありません。
ストレスケアの観点もありません。

先進国の考え方ではなく経済力やリソースや人的成熟のない途上国の考え方と言えるでしょう。
より福利厚生の発達した社会ではこちらの方がよいですし、経済的にも生産性も最終的には高める可能性もあります。

本来医療にかかれるのはいいことです。
特に精神科は1990年前後にマイスリー、アモバン、プロザック、リスパダールなどをはじめとした画期的な薬が開発されて臨床現場に登場したことで精神科医療は激変しました。

アメリカは日本の様に薬に対する偏見や服薬抵抗が少ない国です。
日本から見れば国民皆保険ではなく、民間の健康保険に入れる経済力がある人しか医療にかかりづらいので医療や薬のありがたみが分かるのが理由の一つでしょう。

日本においては 国民皆保険が1970年代に始まったときにそれまで経済的理由で医療にかかれなかった人がありがたいことだという気持ちで一斉に医療にかかり服薬するようになりました。
戦前生まれの人などにとっては安価に医療にかかれて薬も飲めるような状況は夢のような状況だったのでしょう。

その後薬のためこみや過剰処方と服薬、病院のサロン化などが問題になり、過剰な医療と過剰な服薬を叩く空気が形成されました。
この呪縛は現在は解けてきていますが、地方や年配の方、不安が高い方では服薬治療やワクチン接種に抵抗を示す傾向が依然見られます。
特に精神科はその先入観が強いと考えられます。

そのため治療やストレスケアが遅れて症状が治りにくくなったり再発しやすくなったり性格や認知機能に爪痕を残すことがよく見られます。

大都市の仕事が高ストレスなところではアメリカでは1980~1990年位からエリートたちは薬の助けでパフォーマンスを維持しているようなところがあります。
他方で問題もあります。

格差の問題

格差の問題です。
医療経済のトリレンマとは医療費と医療のアクセスと医療の質は鼎立しないというものです。
しかしお金持ちであれば医療費をかけることで医療のアクセスと質を追求することができます。

医療費をたくさん払える人と医療費をあまり払えない人では格差が生じます。
これは都心部と周辺部や地方で格差が生じることを意味します。
医療費だけでなく都市部の方が良質な情報が集まっており、過去の古い知識や偏見もすぐに洗い流されます。

知識が古い人は精神医学を忌避して受療行動に消極的です。
かかるのが遅れたりかからなかったりするとそれだけ病状は悪化します。

テレンバッハという学者のエンドン学説によるとうつ病はある一線を越えると発症します。
できれば一線を変えないちょっと調子が悪いくらいのところで治療して治してしまえばそれに勝るものはありません。
これが郊外や地方では遅れる傾向があります。

統合失調症では未治療期間(durationuntreatedperiod(DUP))といってこの期間が長い程予後、転機、経過が悪化します。
知識やお金がある人は都心部に多くさっさと受診してさっさと治療します。

知識といいましたがネットの時代に知識差はそれほどないかもしれないので、どちらかというとその地域、共同体の雰囲気なのでしょう。
精神疾患を忌避する偏見や先入観を精神科ではスティグマと言います。

現在は医学が圧倒的に発展し過ぎて病気を治すだけでなく、病気でない人が飲んでも恩恵を受けられるような薬がたくさんあります。

医療とはマイナスを0にするためのものというイメージがありますが、現在は0をプラスに、あるいはマイナスをプラスに、プラスをさらなるプラスにするような薬剤も沢山あります。

病気にならない、病気を治すだけではなく元気を上げる、気力を漲らせる、生気を亢進するなどの健康の増進ヘルスプロモーションがなければこの厳しい競争社会、管理社会で生き延びる、生き残ることは困難があります。

現代はストレス社会、寝不足社会、運動不足社会、デスクワーク社会、コンピュータ端末くぎ付け社会、目の使い過ぎ社会、過重労・過緊張・過覚醒・過敏社会です。

各国の都市部はその傾向がありますが特に大都市部に顕著でアメリカのNYやシリコンバレーなどでは若いうちに稼いで早期退職を目指す燃え尽き症候群が心配そうなビジネスマンが東京よりも目立つようです。
アメリカのこういう人々を支えているのが向精神薬で、東京もやはり無理な生活による疲労やストレスを向精神薬で支えざるを得ないような方がたくさんいます。

それでも通院して服薬することで仕事や生活が支えられていればいいのですが、通院や服薬を嫌って無理をしてうつ病になってしまう方がたくさんいらっしゃいます。

早期であればストレス関連障害、適応障害、自律神経失調症などで早期治療できますが、それが進むとうつ病の診断になってしまい治りが悪くなってしまいますし、職場や私生活で何らかの問題や軋轢がすでに生じてしまっていることが多いので、問題が複雑になります。

本人の心の中でも自信喪失や挫折体験、トラウマのようなものが記憶されてしまってこれを癒すのに難渋する場合が出てきます。

総じていうと心療内科や精神科に早期にかかる人とかからない人の格差が生じます。

日本は国民皆保険ですし、生活保護と言えども医療費はかかりませんので誰でも保険診療内の医療は書かれるはずなのですが、昭和の中ごろまでのように経済的に医療にかかれないのではなく、意識の高さというか持ち方のせいで医療にかからず後で不利益をこうむることになってしまっている方が増えているのは痛ましいことです。

アメリカのように保険料が高くて民間の医療保険に入れない人が精神科の医療を受けられず、民間の医療保険に入れる経済力のある人だけがストレスケアを受けられる状態はまさに典型的な格差問題です。

日本は国民皆保険で誰でも医療にかかれるのにかからない人がいるのは経済力よりは意識の格差の問題ですがどちらの格差でも格差は格差が広がるように働いてしまうので、現在のように精神疾患への偏見が減少してきて、疾患や治療の啓発や知識の普及活動が行われているのはいい傾向と言えると思います。

調子が悪い時にうつ病かな、と思えたり、医者にかかろうかなと抵抗なく思えるのは良い状態であり、社会の成熟だと思います。

それに即してうつ病の診断基準が拡大したのも公衆衛生的に考えればいいことでしょう。