気分と感情について ―多角的な気分と感情の見方― (前編)

2026/03/30

気分と感情について ―多角的な気分と感情の見方― (前編)

ちょっと間が空いてしまいました。改めてよろしくお願いいたします。
今回は気分と感情について、という題で少々学術的(学問的)な要素のあるコラムになります。

気分と感情はなかなか科学的な学問や研究では扱いづらい面がありました。
西洋の伝統では精神を「知・情・意」の3つに分けます。

知については思考や認知、認識として哲学でも心理学でも精神分析学でもゴリゴリの研究対象でした。それに付随してか精神力動を扱うものとして知情意の意(意欲)もそこそこ研究されました。

情はいろいろな箇所で触れられはするのですが、気分や感情はいろんな種類の気分や感情があるのでそれをカテゴリーとしてみると総合的な研究が組み立てにくいようです。また、感情の種類によって各感情の理解を深めるスタイルは一般性が低いので研究としてはより避けられる傾向がありました。
(最近だと、心理学の方面から「質的研究」というフレームで個別の感情を扱うようにもなってきてはいます)

また西洋思想の伝統で知性や理性を重視する面があり、感性や感覚は研究しても感情はやはり周辺的なものとして研究の中心になりにくかった面があります。

序:感情は「もの」ではない——精神医学・心理学・哲学が描く「気分と情動」の地図

「最近、気分が落ち込んでて・・・」と誰かが言うとき、私たちはなんとなくその意味を了解します。けれども、そこで言われている「気分」とは一体何でしょう。
それは「悲しみ」という感情のことなのか、身体的な倦怠感のことなのか。
それとも、世界全体がどことなく灰色がかって見えるという、もっと漠然とした何かだろうか。

じつは、この一見素朴な問いに対して、精神医学、心理学、哲学はそれぞれ驚くほど異なる答えを用意してきました。
しかもそれらの答えは、時代とともに変遷し、互いに影響を与え合い、ときに根本的に矛盾してきました。

これらを横断的に見ることで、私たちが日常的に使っている「感情」や「気分」という言葉が、実はとても複雑な地形の上に立っていることが見えてくるはずです。

精神医学の地図——Affect, Mood, Emotionの系譜 クレペリンの二分法から始まる

現代精神医学における感情の扱いを理解するには、19世紀末のドイツに遡る必要があります。

1899年、精神科医エミール・クレペリンは、精神疾患を大きく二つに分けました。
認知機能の進行性の衰退を特徴とする「早発性痴呆」(のちのブロイラーによる「統合失調症」)と、気分の周期的な変動を特徴とする「躁うつ病」です。
この二分法は「クレペリンの二分法」と呼ばれ、精神医学の診断体系の基盤として一世紀以上にわたって影響を与え続けてきました。

重要なのは、この分類がすでにある前提を含んでいたことです
——「思考の障害」と「気分の障害」は、本質的に異なるものだという前提です。
クレペリン自身は晩年にこの二分法の限界を認め、両者の境界が曖昧な患者群の存在を指摘していたましたが、この「思考か気分か」という図式は、クレペリンの手元を離れ、DSMやICDといった現代の診断分類にまで脈々と受け継がれています。

ブロイラーの「感情鈍麻」——感情が「症状」になるとき

スイスの精神科医ブロイラーは、統合失調症の基本症状として「四つのA」、すなわち
——連合弛緩(Associations)、感情鈍麻(Affective blunting)、自閉(Autism)、両価性(Ambivalence)——を挙げました。
ここで注目したいのは「感情鈍麻」です。
ブロイラーにとって、統合失調症とは認知と感情が「分裂」する病態であり、感情は思考と並ぶもう一つの精神機能として位置づけられました。

つまり精神医学においては、感情は早い段階から「観察可能な精神機能」として捉えられてきたということです。
診察室で医師が観察できる患者の表情や声のトーンの変化は「感情(affect)」と呼ばれ、患者自身がより長い時間軸で報告する主観的な状態は「気分(mood)」と呼ばれます。
この区別は精神科の教科書では基本中の基本として教えられています。

精神医学における三つの用語

精神科臨床で使われる感情関連の用語を整理すると、おおむね次のような使い分けがなされています。
(是非、ご自身の状況を説明する際に使い分けて見てください)

Affect(感情・情動) は、診察場面で観察される、比較的短時間の感情表出を指す。表情、声の調子、身振りなどから推察される。
「感情が平板である」「感情が不安定である」といった記述に用いられる。

Mood(気分) は、より持続的で広範な感情状態を指す。患者の主観的報告に基づくことが多い。
「抑うつ気分」「高揚した気分」などと表現される。
天候にたとえるなら、affectがその瞬間の天気であるのに対し、moodはある期間の気候のようなものと言われます。

Emotion(情動・感情) は、精神医学ではやや曖昧な位置にある。
特定の対象(人物など)や出来事(事件や事故など)に向けられた、比較的短い心理的・生理的反応を指すことが多いですが、affect(感情・情動)との区別は必ずしも明確ではありません。
精神医学を修めた年の傾向によってパキっと分かれるわけではありませんが、特定の年代の精神科医師でAffectとEmotionの使われ方が異なっている印象があります。

ただし、これらの区別はあくまで臨床上の便宜であって、人間の感情体験の本質を反映しているかどうかは、まったく別の問題です。
もしかしたら、この分類に当てはまらないような、分類できないような枠組みの体験をしている方が現にいるかもしれません。それはそれで興味深いのですが、現代精神医学では気分と感情の関係をこのように見立てているということです。
実際、この三つの用語の関係をどう理解するかをめぐって、精神医学の外部ではまったく異なる地図が描かれてきています。

長くなりますので、ここでいったん筆を置かせていただきます。
次回もお付き合いください。