一番やさしい数学とはなにか

2022/08/02

一番やさしい数学とはなにか

はじめに

「数学とはなにか」ということを改めて考える必要がある人はあまりいないかもしれません。しかし数学とは何かについての基本的な哲学を持てるようになると数学がとてつもなく面白くなります。
それはネットで流れているような数学の雑学とは別のものです。

“数理哲学”というと色々な意味が含まれてしまうかもしれませんが、ここで説明するのは数学を基礎づける哲学の簡単な説明です。
「数学を基礎づける哲学」を勉強すると数学に対する見方が全く変わります。

物心つかない頃から数の数え方を皮切りに教えられてきた数学に対する見方がひっくり返るようなエキサイティングな体験ができるでしょう。

多くの方々が改めて数学を勉強してみようというきっかけになることを祈っております!

数学という言葉

“数の学”と書いて数学と書きます。
この名称を見れば誰でも「数学は数についての学問だ」と思うでしょう。

では数とは何でしょうか?

“数学を基礎づける”哲学を考えるならばこういう問いが必要です。

そもそも日本では“数の学”と書いて“数学”という言葉を使いますが、英語では”mathematics”、他のヨーロッパでも”mathematics”の語源である古代ギリシア語の“μανθάνω”という言葉から派生した類似の言葉を使います。
“μανθάνω”は「学ぶ」と言う意味で、mathematicsはそこから派生した「学ぶべきもの」という意味です。

近現代数学は欧米諸国によって作られましたが、それらの国々では日本語の「数学」を「学ぶべきもの」という別の意味で翻訳するわけです。
ですから筋から言えば“mathematics”を「数学」と訳したのは誤訳と言えます。

欧米人は数学を「学ぶべきもの」というとても重要なものと考えているのに対して、日本人はmathematicsを「数に関する学問」という学んでも学ばなくてもどっちでもいい様な学問としてとらえているわけです。

日本ではよく学問に“学”や“科”を付けます。
典型的なのは「科学」という言葉でしょう。
日本語の科学は英語のscienceに相当し、scienceの語源はギリシア語の“知識”です。

数学と同じく近現代の科学は欧米諸国で作られたので、欧米諸国が漢字文化圏の「科学」という言葉をscienceの翻訳に充てたのではなく、欧米諸国の“science”という言葉に漢字文化圏が「科学」という言葉を当てたのでしょう。
Phisics、chemistry、biorogyを「物理学」「化学」「生物学」を語尾に学をつけて訳したのも同じ事情でしょう。

我々は物心つくかつかないかのうちから数を覚えます。
お風呂で親と一緒に数を数えた記憶がある人は少なくないでしょう。
日本では昔から読み書きそろばんは庶民にまで広く浸透していました。

最近は小学校でも算数をmathematicsと訳しているようですが、昔は小学校の算数はarithmeticと訳されました。
Arithmeticは「算数」「算術」を表します。

数を覚えた後には加減乗除の数値演算を教えます。
Mathematicsを数学と訳した人はこの印象が強すぎたのかもしれません。
この数とは演算するものであると教えられた印象が強いためarithmeticを科とする学問、mathematicsを数学と訳したのかもしれません。

今でこそ学問と言えば理系が優位ですが昔は学問と言えば文系を指しました。
外国の文物を翻訳するような偉い学者の先生が数学音痴であったとしてもしかたがないでしょう。

かくして学問のプリンケプスであり女王と冠されるmathematicsは、万人の学ぶべきものではなくただの「数の学問」に誤訳され格下げされてしまいました。

数について

数学という言葉はmathematicsの誤訳である云々はおいておいて「数学」という言葉をスタート地点に考えてみましょう。

数を自明な前提として数学を進めるのは初等数学や古典数学です。
しかしもし数学を基礎づける哲学を考えるのであれば「数とはなにか」を考えることが出発点になります。

これは小・中・高と学んできた算数や数学の学習方法とは逆に進む道になります。
それらは複雑に見えますが「数」を応用する方向性での複雑さです。

その道を逆に進むことが「数とは何か」を探す道になります。
その道の第一歩で行き当たるのは「数」ではなく「元」です。

「元」という言葉は集合論で登場します。
「現代の数学は集合論の上に作られている」というような表現を聞いた事があるかもしれません。
元よりなるものを集合、または集合は元より成り立ちます。

元に様々な性質を与えることにより数を作り出すことが数学の哲学の初めの一歩でした。
他方で数より奥深くにあるものが分かるとそこから別のものが作れます。

元から作れるのは数だけではないのです。
数は元の1つの例に過ぎません。
まさに“数学のもと”です。

元から作った数以外のものを数学の範疇に入れるかどうかは好き好きです。
理論物理学などは元を使って色々なものを作り出しています。

元から数を作る

まず具体的なところからはじめます。
数がどのように造られていくか?我々の幼児期の体験を思い出しましょう。

両親は我々に数の名前を教えます。
まずは呼び名です。
そしてもう少し大きくなると数の書き方を教えます。

数の名前とは呼び名と記法からなるわけです。
数え方を覚えると演算、つまり算術を習います。
これは現代では塾や学校が代行することも多いでしょう。

小学校に入れば分数や少数も習います。
中学生になれば自然数や分数、少数を拡張した整数、有理数、実数を習うでしょう。

大体中学校までが義務教育で文理の違いもないのでここまでは成人の共通認識となります。

数に与える性質-1

もう少し別の観点からどの様に元から数を造るのか眺めてみましょう。
実はお風呂で数を数える時に我々は数の持つ隠れた性質を教わっています。

まずは単位元の存在です。
これを“1”といいます。
自然数は1に1から一つずつ1を加えていくことで等間隔で作られていきます。

これは呼び名も数字もそうです。

また順序や最小値の存在の整列の概念を実は習っています。
更に自然数が不連続性(非完備性)や無限(濃度)、位相、点列や距離空間の概念などがすでにここに含まれています。

これらは分数、少数、負の数などを習うことにより反復しかつ洗練されて我々の頭に刷り込まれていきます。
意識して学ぶというよりインプリンティング、つまり刷り込まれ条件反射化して記憶されます。
しかし意識していないため数の性質を覚えてゆく自覚はありません。

自覚なく元に性質を与えられていく、言い換えると構造を与えられているところがポイントになります。

数に与える性質-2

初等教育、幼児期と学童期において学習の1つのクライマックスになるのが読み書きそろばんのそろばん、すなわち加減乗除の習得でしょう。

足し算を学び、そして引き算を学びます。
これは集合の元の間の加法の習得であり、言葉を変えれば数を群として扱うことを刷り込まれます。
ここで無意識に単元と逆元、そして零元の存在、結合法則や交換法則を学んでいます。

これが数値演算、言い換えれば算術の計算の初体験であり一つ目のものになります。

その後に2つ目の演算である乗法、すなわち掛け算と割り算を学び元の間の相互作用と数の体系、すなわち体を学びます。
中学生になると幾何学に座標を与える代数幾何学や関数という写像を学びますが基礎は小学校までで学ぶ算数に含まれています。

元から数へ

集合をgroupとすると元はグループのmemberですが同時にelementと訳します。
エレメント、あるいはメンバー同士の関係のルールを作ることにより数(number)を作ります。
その際に与える構造は集合論と位相論における性質と元同士の演算を規定する代数系の構造になります。

こどもは教えられることによってこれらの性質や構造を無意識に獲得し無意識に使用します。

これらは原始人は無意識にも知っていたのかは分かりません。
もしかしたら猿の時から持っていたのかもしれませんし、実は気が付いたのはごく最近かもしれません。

個体発生は系統発生に準ずるがのごとくに我々は赤ちゃんから大人への過程では刷り込まれることで、原始人から人間になるまでの間には進化の過程で経験的に獲得し文化として集団で維持されてきたのかもしれません。

転換点は無意識の状態から意識されるようになった時、あるいは数が根源であったと思っていた時から数は元から作れると認識した時になります。

数の起源

公理的集合論から初めて数を構築することは高等数学の入り口になります。

元からはいわゆる我々が数として認識している自然数、整数、有理数、あるいは無理数や実数、そして場合によっては複素数以外にも様々な数学的、あるいは理論科学的要素を作ることができます。
公理的集合論を更に掘り下げると圏論などの数学的構造の更にシンプルな定式化が可能です。

我々は偉大な先人が創造した数学的構築物を好きなだけ学ぶことができますし、つまらなくても興味深さがなくても良いのであれば自由に自分で数学的構造を創造ることも出来ます。

19世紀末にある天才数学者が「自然数だけは神が造った」といいました。
我々は高々100年前には天才数学者さえ知らなかった数の作り方を知っているのです。
それは天国、楽園、浄土、涅槃とさえも入れえる幸福な時代に生きています。

もちろん数を起源として元を数から抽象して創造したものと考えても構いません。
しかしそれと同時に元から数を想像できるという考え方を同時に持つ必要があります。

これは20世紀初頭に論争した論理・形式・直感主義者たちや数学を人間の手で一から構築しようとしたブルバキなどの努力があってもなお理解されないことがある考え方です。

しかし数学を基礎づける哲学、―単に数理哲学と呼んでもいいかもしれませんが―、の根源には、現代哲学や大乗仏教の中道が相対主義の考え方と並んでこの様な考え方があります。